萩旅行 in 2015
期間      : 2015年 9月20日ー22日
出発      : 京都から新幹線で新山口まで、そこからはレンタカーです。
訪問地     : 山口県萩市

滞在ホテル  : 萩一輪
参加メンバ  : 家族4人

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今回の見所

今回の旅行先は萩です。
2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台でもある萩は、明治維新を成し遂げた長州藩の幕末の志士を育んだ土地です。
今回は、明治維新の胎動の地をこの目で確認し、その時代に生きた志士達のその志に触れることができればと萩を選びました。また、萩の城下は、その当時の屋敷や、土塀が現存する貴重な地区でもあります。
さらに、この萩の菊が浜は、日本の夕日100選にも選ばれた場所です、本当に美しい夕日が見られました。
歴史好きの我が家全員が楽しんできました。

<今回のスケジュール>
1日  : 10:10 京都駅発→新山口行き 新幹線
     12:30 今回は、駅前あるあるのトヨタレンタカーを予約しました。さあ、山口での旅行がスタートです。
     13:15 今回の最初の目的地 秋芳洞に到着。
          秋芳洞では、秋芳洞案内所側から、黒谷案内所まで鍾乳洞を潜り抜けました。
     14:15 そして、このカルスト台地が見渡せる秋吉台 展望台へ行きました。
     14:30 ちょっとブレーク 今回の我が家のバイブル「るるぶ」に載ってたカフェへ・・。
     16:45 その後、萩まで移動し、今回の宿  萩一輪に到着!
          早速 足湯でゆっくりしましたよ。
     17:00 まだ、夕食には早いので、女台場にでかけました。そして、その帰りには菊が浜の夕日を堪能しました。
         この菊が浜の夕日は、日本の夕日100選にも選ばれています。

2日  : 9:00 ホテルを出発し、世界遺産の松下村塾と、吉田松陰神社周辺へ。
      9:10 今回の目的の一つ、松下村塾へ到着
         朝から神社前の駐車場はいっぱい・・、臨時の駐車場となった小学校へとめました。
         さあ、ここから徒歩で、この松本地区を探索です。
         松下村塾、杉家の旧宅、松陰神社、宝物殿 → 吉田稔麿誕生地 → 伊藤博文誕生地
         → 玉木文之進宅 → 吉田松陰墓所、吉田松陰誕生地 → 東光寺。
     12:00 もとの駐車場へ到着。このコースで、約2キロほどは歩いたでしょうか。
     12:15 車で移動して、萩博物館の駐車場へ駐車。
         午後は、この萩博物館を出発点に、徒歩で菊谷家周辺の城下町を探索しました。
         萩博物館 → お食事処わらじ(しかし、多くの行列で断念) → 高杉晋作誕生地 → 木戸孝允旧宅
         → 花燃ゆのドラマ館・明倫館 → ここから萩博物館へ戻りました。
     15:30 次は、萩城跡へ車で移動しました。
         この日の最後は、萩城の外堀内の城下、堀内地区を探索しました。
         萩城 → 堀内地区探索 → 堀内鍵曲
     16:45 旅館へ戻りました。
     17:00 今日も夕食には早いので、まだ見ていなかった、野山獄、岩倉獄に行きました。そして、またまた、
         最高の夕日を見てきました・・・。本当に美しい!!

3日  : 7:00 この日は、早起きして、旅館の名物バスツアーへ参加。
          このバスツアーは、萩一輪の会長さんが外堀内の城下の現存する武家屋敷を案内してくださるものです。
         いろいろな歴史の話しを交えた解説は面白く、勉強にもなり、本当に参加してよかった。
      9:00  旅館を出発。この7月に世界遺産に認定された反射炉へ向かいました。
      9:45 反射炉の後に、道の駅しーまーとでお土産を買い、萩の最後の目的地、涙松に向かいました。
     10:15 涙松で一句・・・、とはいきませんでしたが、これで萩にわかれを告げ、山口に向かいます。
     11:15 萩から山口へ移動し、瑠璃光寺へ到着。
     12:15 そして、今回の最後の訪問は、菜香亭。ここは、昔は料亭で、多くの財界人が通ったお店です。
         木戸孝允に、伊藤博文、井上馨・・・。たくさんの偉人の息吹を感じました。
     14:53 新山口から新幹線で帰路につきました。

 
後半戦はこちら

秋芳洞は、日本屈指の鍾乳洞で、国の特別天然記念物に指定されています。洞内の観光コースは約1kmあり、総延長は8.9kmもあります。 さあ、洞窟入口につきました、ここから観光コース1kmを潜り抜けます。
鍾乳洞内はまるでアドベンチャーワールドの世界です。冒険心が沸々と湧いてきます。 ここが百枚皿。なんとも自然の造形に見惚れてしまいます。
千畳敷。大きな空間が広がります。ちょうど、この空間の奥に、秋吉台案内所に抜けるエレベータが設置されています。この地点で700mになります。 黒谷案内所に到達し、その後、カルスト台地が展望できる秋吉台展望所に行きました。
この秋吉台のカルスト台地は日本最大級であり、特別天然指定物に指定されています。この石灰岩は、およそ3億5千年前に南方の海でサンゴ礁として誕生し、現在のカルスト台地を形成しています。 しかし、雄大な景色です。どこまで続いているんだろう・・・。
ちょっとブレークタイム。秋吉台の近くの秋吉台リフレッシュパーク内にあるCafe Arboreoに寄りました。アンティークな店内でオリジナルの紅茶に、創作ジンジャー入りラテ・ジンジャー・レモーネをいただきました。 秋吉台から車で45分。萩の萩一輪に到着しました。この旅館は女性に優しい旅館として有名なんです。萩の天然温泉もあり、目の前は菊が浜と言う好立地です。
お部屋は、こんな感じです。 旅館内には、こんな飾り付けも。
到着して荷物を置いて早速足湯に・・。本当に気持ちよく足が軽くなりました。結構歩きましたからね。 これが菊が浜からみた萩一輪です。
ちょっと夕食までには時間もあるので、周辺を散策しました。歩いて10分ほど、女台場があります。 この女台場は、外国船から萩の街を守ろうと上級武士の奥方も含め女性が参加して土塁を作ったことで有名です。
夕日100選の菊が浜。 この日は雲の感じがとてもよかったです。
さあ、お楽しみの夕食時間になりました。夕食はお部屋でゆっくりいただきました。左から山口産のブランド牛とブランド豚を鉄板焼きで、上の真ん中はフグと野菜の蒸し物(左にも画像を載せました)。その横にはフグの刺身、その横は刺身の盛り合わせ。そして食前酒。真ん中には前菜。 これがフグの蒸し物です。
次に出てきたのが、ノドグロの煮つけ。ここでノドグロに出合えるとは、おいしかったです。 これは、金太郎。このあたりでは有名なスズキ目ヒメジ科の魚です。これが最高に美味しかった。
こちらは、白身魚のテリーヌの生ハム包み。 食事の最後はアワビのステーキ。これは美味です。
そして、お吸い物とご飯。 ご飯は、魚の炊き込みご飯で、おなかいっぱいなのに、しっかり完食しちゃいました。
デザートで締めくくり。本当によく食べました。次女は、日頃の4倍は食べたとか・・・・。
 ここから2日目 AM
朝の菊が浜。気持ちよい!ご飯前に海辺を散策しました。 そして朝食です。左上からご飯、お味噌汁、蒸し物。茶碗蒸しに、サラダに、烏賊のお刺身。
9:00に旅館を出発し、今回の大きな目的のひとつ、松本地区の松陰神社周辺へ向かいました。周辺は無料駐車場がいっぱいあります。 ここには、「明治維新胎動の地」こんな石碑があります。まさに、吉田松陰の松下村塾から維新は起こります。
やってきました、世界遺産にも登録された「松下村塾」。松下村塾は、元々、叔父の玉木文之進が別の場所で開いていた私塾ですが、吉田松陰が杉家で幽閉されていたとき藩の許しを得て、納屋を改造して松下村塾を引き継いだということです。松陰28歳の時です。 この松下村塾は、わずか一年でしたが、久坂玄瑞、伊藤博文、高杉晋作など多くの幕末の志士を送り出しました。
松下村塾は二間ほどの小さな場所です。ここに、あの幕末の志士が座っていたかと思うとテンションがあがります。 そして、こちらが講義室。そこに吉田松陰が座っていたとは・・。
こちらは、杉家旧宅で、ここに吉田松陰が幽閉されていました。 この杉家ですが、元は東光寺近くの山の中にありましたが転居してこの場所に移りました。
この狭い場所が吉田松陰が幽閉されていた部屋で僅か三畳でした。この軒下では多くの門下生が松陰の講義に耳を傾けたとか。 こちらは杉家の井戸。当時のすがたそのままです。
 
 松陰神社。明治40年には、伊藤博文らが尽力し県社となっています。    ここには、御神体として、松陰の赤間硯と父などの書簡が祀られています。
 
 松陰神社の入口には、こんな石碑が・・。「薩長土連合密議の處」ここからまさに維新が動き出した証です。    松陰神社を後に、ここから幕末の志士をめぐります。松陰神社のすぐ横には「吉田稔麿」誕生地の碑があります。
 
 吉田稔麿の誕生地から200mで、伊藤博文の旧宅があります。    伊藤博文は、農村の出であるが父が伊藤家に養子に入りこの家の家督を継ぐ。
 
 伊藤博文は、明治元年に兵庫県知事に就任するまでここで過ごしました。    この旧宅の隣には、東京から移築された別邸があります。伊藤博文は、長州藩からヨーロッパに秘密留学した5傑の一人です。
 
 こちらが、別邸。    これは一部が移築されたとのことですが、広くてしっかりした造りが印象的でした。
 
 伊藤家旧宅から更に歩き、松陰の叔父で玉木文之進旧宅、松下村塾の発祥の地です。    この玉木旧宅から山側に300m登ると、吉田松陰、高杉晋作の墓所があります。
 
 吉田松陰は江戸で斬首されますが、本来、戻ることの無い遺体が戻されています。松陰のお墓は東京都、この萩の二か所に存在しています。    吉田松陰と門下生の金子重輔の像。
 
 この墓所の横には吉田松陰の誕生地があります。ここに杉家があり妹の文さんはじめ家族で暮らしていました。    この地の目の前から、萩が一望できます。
 
 松陰の募所から400mほどでしょうか、毛利家の菩提寺、東光寺があります。この朱色の総門は重要文化財に指定されています。    こちらは山門。
 
 そして、大本堂。    こちらは、毛利家の墓所。藩主3代、5代、7代9代、11代が眠ります。石灯籠は500基が整然とならぶ特別の空間です。
1・2日目の午前中が終了です。
秋芳洞に、明治維新を堪能しました、午後からは萩城下に向かいます。歴史と明治維新をさらに探索してみます。
この続きは、後半編でお楽しみください。