Leaf倶楽部 東京周辺

旧東海道 東禅寺、泉岳寺、増上寺 (2016年3月5日 現在) by yama

旧東海道の品川宿から新橋方面に旧東海道沿いを探索しながら歩きました。

東禅寺:
慶長14年(1609年)赤坂に創建、寛永13年(1636年)当地へ移転したといいます。江戸末期には初のイギリス行使宿館が当寺におかれました。
http://4travel.jp/domestic/area/kanto/tokyo/shinagawa/shirokane/temple/11353761/

泉岳寺:

慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田に門庵宗関を招いて創建。寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名により、現在の高輪の地で再建された。赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ、現在も多くの参拝客が訪れる。
http://www.sengakuji.or.jp/

増上寺:

徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。
http://www.zojoji.or.jp/

旧東海道の品川宿を出発です。 さっそく、土蔵相模跡があります。「土蔵相模」は、高杉晋作など幕末の志士たちの会合場所としてよく登場する妓楼。桜田門外の変で大老・井伊直弼を襲撃した浪士たちも、前夜ここに投宿した場所です。
旧東海道の品川宿の入り口には、こんな案内板があります。 現在の第一京浜道路沿いに歩きます。JR品川駅のまえには、横浜ー新橋間に鉄道が開通したときに品川駅もできました。そんな記念碑がありました。
第一京浜から少し側道に入った住宅街に、東禅寺があります。ここは、開国当時に、最初のイギリス公使宿館として使用されたお寺です。 これが本堂ですが、なんとなく立派な玄関とも見えます。
 更に進み、泉岳寺に着きました。ここは、赤穂浪士の四十七士(実際は四十八)のお墓があります。  こちらが本堂。
 山門横には大石内蔵助の銅像があります。  浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です。
 義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。  こちらが、その井戸です。
 この門は浅野家の鉄砲州上屋敷(現・聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築したものです。  赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。
 芝公園までやってきました。
ここには徳川家康の芝東照宮があります。
 
 増上寺の三解脱門。東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇るこの門。  増上寺の大殿。昭和49(1974年)年、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、戦災に遭い焼失した本堂が再建された。