源光庵・常照寺 https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000055 <源光庵> 「悟りの窓、迷いの窓」で有名な源光庵。1346年に臨済宗大本山大徳寺二代徹翁国師の開祖による。本堂には、悟りの窓と名付けられた丸窓と、迷いの窓の角窓がある。丸窓は、「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現する。角窓は、「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。これは仏教用語で、四苦とは生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)、八苦とは愛別離苦(あいべつりく)<愛するものと別れる苦>、怨憎会苦(おんぞうえく)<怨み憎まねばならないものと会う苦>、求不得苦(ぐふとっく)<求めて得られない苦>、五蘊盛苦(ごうんじょうく)<総じて人間の活動による苦>の四苦に先の生老病死の四つを足して八苦となる。 <常照寺> 1616年に本阿弥光悦の土地寄進とその子、光瑳の発願によって、寂照院日乾上人を招じて開祖された。常照寺には、吉野太夫のお墓があることで有名です。吉野太夫は、寛永のころ、天下の名妓として一世を風靡し、その才色兼備を謳われた。吉野の和歌、連歌、俳句、書、茶湯、香道 等、諸芸に秀で、その美貌は唐の国まで伝わったとされている。 |
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源光庵の門で、こちらは新しそうです。 | 山門。趣があり良い雰囲気です。 |
山門をくぐると、すぐに本堂があります。 | 悟りの窓、迷いの窓とは異なりますが、庭園の景色が素晴らしいです。 |
悟りの窓と、迷いの窓です。この日は観光客も少なく本堂は静かで、この窓を眺めていると、本当に落ち着き時間を忘れてしまいます。青紅葉がとてもきれいでした。 | |
本堂の天井は血天井になっています。これは、伏見桃山城の遺構であり、1600年に徳川家康の家臣と石田三成が交戦したときの痕跡です。床であったが、人の足で踏むには忍びないとのことで天井として使用されました。右の写真には足跡がはっきり残っています。 | |
本堂横の庭園も、新緑で本当にきれい。 | 庭先のお花も映えて見えます。 |
<常照寺> | |
こちらは、常照寺の山門までの参道。 | この赤門は吉野太夫が寄進したものです。 |
こちらが本堂です。 | 庭園も雰囲気がよく、緑がきれいです。 |
休憩も兼ねて抹茶付きの拝観料にしました。 | このお餅が柔らかくて本当に美味しかった。 |
<番外編> | |
出町柳駅の近くにあるパン屋さん「柳月堂」さん。MBSの「ちちんぷいぷい」という番組でも紹介されていました。くるみパンがおいしいとのことで、帰りに寄ってみました。お客さんでいっぱいで、レジに並んでいても、テレビ見たよ!て声掛けするお客さんが多数!帰りの車の中で早速いただきましたが、これはおいしい! |