Leaf倶楽部 滋賀&京都周辺

豊国神社

京都市東山区大和大路正面茶屋


<こんなところ>

https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000182

10月10日 体育の日です。昨晩のNHK大河ドラマ「真田丸」では、豊臣秀頼の念願であった東山大仏建立の場面で、奉納する鐘への銘文事件から、大阪の冬の陣につながる大事な場面でした。そう、この鐘には、その銘文が刻まれているとのことで、早速行ってきました。
秀吉が亡くなった翌年の1599年(慶長4年)、秀吉はその遺言により東山の阿弥陀ヶ峰の山頂に葬られました。その中腹に秀吉を神様として祀る神社が創建されたのが、豊国神社の始まりです。そして、後陽成天皇から「豊国大明神」の神号を賜りました。
しかし1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で豊臣家が敗れると、その後政権を握った徳川家康の命で神号は廃され、神社の社領は幕府が没収となった。その後、1868年(明治元年)、明治維新により250年近く続いた江戸幕府は倒れ、日本は新しい時代を迎えていました。その折に明治天皇が、神社の復興と再建を命じます。


この日はちょうど結婚式が行われていました。
方広寺の釣鐘に刻まれた銘文。
徳川家康は、この銘文にある「国家安康」の文字は、徳川家康の「家康」を引き離した呪いとして、「君臣豊楽」の文字は豊臣家の繁栄を祈願していると非難し、大仏開眼を延期させ、豊臣方を憤激させた。
今も、この鐘が残っています・・・。
これは、豊国神社の石積み。ここ豊国神社は、豊臣秀吉・秀頼の念願であった東山大仏の大仏殿の遺構となっています。その壮大さがうかがえます。
三十三間堂

京都市東山区三十三間堂廻町

<こんなところ>

http://sanjusangendo.jp/



正式には「蓮華王院」(国宝)といい、1164年後白河上皇・院政庁の一面に平清盛が造進した。80年後に焼失したが、1266年に再建され現存している。
お堂は120mあり、正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と通称され、堂内には1001体の観音像がまつわれている。

お堂内には、28体の国宝の仏像があり、1001体の観音像と合わせ、何とも言えない趣のある雰囲気です。
我が家のおすすめスポットに加わりました。
三十三間堂の境内の奥には、「太閤塀」と呼ばれる築地塀と南大門は豊臣秀吉ゆかりの桃山期の重文建造物があります。
<食事編>
お昼は四条通にある、尾張屋さんでお蕎麦をいただきました。
この尾張屋は室町時代の応仁の乱の2年後に菓子屋として尾張から移り、京で商いを始めたとのことで、1700年には御蕎麦屋をはじめ「御用蕎麦司」となり、御所へ出入りしたいた御蕎麦屋さんです。